こんにちは。
世田谷でパリスタイルのお花の教室『FOUR SEASONS FLOWER』を主宰している山根広子です。
「天職を見つけたい!」と思っていた時に出会ったお花の世界!直感で、『これだ!!』と思ったものの、現実の壁も立ちはだかり、その後やや遠回りすることになります。
第二回のコラムは、紆余曲折を経て、教室を開くまでのお話しです!
当時はCAとして、国際線をフライトしていたので、お休みのたびに教室に通いました。
上手くできなくてもとても楽しく、いつかプロになるんだ・・・という気持ちで勉強をしていましたので、レッスン中に気づいたことはひたすらメモを取ったりと、多分ガツガツしていたと思います(笑)
フライト先の、海外での過ごし方も変わりました!
パリでは、当時の日本とはまるで違うディスプレイをしているお花屋さんを回ったり、美術館やオペラを見たり、センスや感性を磨ける場所へもたくさん出かけました。
同じ景色でも、新しい夢を見つけた後では全く違って見えるのがとても嬉しくて、お花と出会ってからは、見える世界がより色鮮やかなものへと変わっていきました。
もう少しで資格を取得できる段階になった頃、いざCAを辞めて転職して果たして一人で生活ができるのかと考えた時、まず一つ目の壁にぶち当たりました。
教室に通ったとはいえほぼ素人同然だったので、色々考えた末、CAは辞めるけれど他にも生活を支える手段があった方が良いだろうと思い他の仕事も探し始めました。
詳しく書くと長~くなってしまうので(笑)、結論からお話しすると、当時たまたま出会ったフリーのアナウンサー事務所にお世話になることになったのです。
実は、CAになる前は、就職活動ではアナウンサー志望だったのですが、最終面接で落ちてしまい叶いませんでした。
出身が兵庫県なので、関西にはフリーのアナウンサー事務所などなかったので、フリーでできることを当時は知らなかったのです。
アナウンサーをやりながらお花も続けて・・・と思った私が甘かった!!!
アナウンサーとしても遅いスタートだったため、必死でやらないととてもこなせる仕事ではありませんでした。
お花は何歳になってもきっとできる・・・と信じて、まずは目の前のアナウンサー業に真剣に取り組むことを決め、その後、NHKのBSニュースのキャスターをさせていただいたりと、とても充実した数年間を過ごすことができました。
そして、結婚、出産を経て、息子が1歳になった頃、ようやくお花にもう一度向き合える時間ができました。
もう一度学校に通い、ブランクを埋めるべくレッスンを重ね、息子が幼稚園に通う頃にはその学校の作品展で、新人賞もいただく事ができました。
その息子の幼稚園で出会ったママ友達が、私がお花の教室を開くきっかけを作ってくれたのです!
作品展を見に来てくれたママ友達が、「お花教えて~!」と言ってくれて、「えっ、本当に来てくれるの?」と聞くと、何人かの友人が「私も私も~!!」と言ってくれて、「お花の会」を自宅で開催しました。
最初に来てくれたママ友達は4人。翌月には10人に増えていました!
月一回、『お花の会』を開くために、一ヶ月かけて準備をしていました。
今考えたら、なんて長い準備期間(笑)
テーマを考え、デザイン画を描き、お花はどんな感じにしようかとお花屋さんを回ってみたり・・・。
毎月10人で持ち寄ったお菓子を食べながら(笑)、おしゃべりしながら楽しんだお花の会で、教えることの楽しさを知りました。
お花の素晴らしさに感動してくれたエピソードや、持ち帰ったお花のお手入れをご自宅で楽しんでいる話を聞くたびに、「頑張ってよかった~~」と、やりがいを感じ、次第に私自身の生き甲斐へと変わっていくのを感じました。
この後、本格的に生徒さんを募集して、教室をスタートさせることになるのですが、そのお話は、第三回のコラムでお話しますね。
お読みいただきありがとうございました。