こんにちは!
神奈川県湘南地区でPivoine Rose(ピヴォアンローズ)を主宰しております土方裕紀子(ひじかたゆきこ)です。
第1回目のコラム「お花との出会い」から本格的にお花に携わるようになった経緯をお話したいと思います。
まずはじめに私はお花を始めるにあたって、「仕事にしよう!!」と考えていたわけではないのです。
お教室をお持ちの先生方の中には初めからお仕事にするためにお花の世界に入ってきた方もいると思います。
私は長年ただ純粋に「お花に触っていたい」「お花を楽しむ」と言った一生徒の立場で、華道に夢中になって行ったのです。
ですが、その頃からもうお花の無い人生は考えられず学生からOLになったり、結婚したりと生活環境が変わっても工夫をしたりして何とか続ける事しか考えておりませんでした。
講師や師範になっても華道を始めたその日からお稽古形態も日数も変えることなく今も続けてお稽古に通っています。
それは素晴らしい先生と出会えた事が続けられている大きな要因だと思います。
それに加えて華道を始めたきっかけと池坊聖流に出会えたのが運命的だったこと。
子供の頃からお花好きだったのにお花の世界に足を踏み入れたのは20代前半でした。
私たち世代では花嫁修行のひとつとして華道を嗜む事はもうなく、周りの友人たちも誰一人として華道をしている人はいなかったので初めは皆にびっくりされました。
何故いけばな??フラワーアレンジメントじゃなくて??
華道を始めたきっかけは、最愛の祖父母との別離によって心にぽっかり穴が空いてしまいこのままではダメだ。何か始めてみよう!と思った事でした。
住んでいたマンションにいけばなの先生がいることは高校生の時から知っていたので、母に「いけばなやってみたい!」と相談しました。
先生のお宅にお邪魔した日からご近所の子とおば様の関係から師弟関係へ。
まさかそれがこんなにも長く続き、自分も教える立場になるとはその頃夢にも思いませんでした。
お華を続けて行くと心に空いていた穴に徐々にお水が染み込むようにお花で満たされ行きました。
これが癒されると言う事なんだと本当に感じたのです。
そして、何故いけばなだったのか。
ご近所に先生がいらっしゃったからだけではなく、10代の頃に感じた自分に足りないものを補ってくれる存在だったと言うのも理由の一つです。
それは10代の頃に短期留学を二度経験し、アメリカへ滞在して帰ってきてから。
素晴らしい体験とカルチャーショックも受け、多少アメリカナイズされましたが(笑)
外から見た日本の素晴らしさ、日本人であることの誇りを実感したのです。
英語はお勉強をしてどんどん上達するのに、20年弱日本人として生きて来たのにこの日本の素晴らしさをアメリカの方達に存分に伝えることの出来ない自分に気づかされました。
滞在中、日本食を作って食べてもらったり、子供の頃にしていた茶道を紹介したりしましたが、自分の中でこれだけじゃない、と腑に落ちない部分がありました。
その頃の足りないものを補ってくれるのが華道だと確信したのです。
華道と英語、この点と点が線になる日がやってくるのも面白いなと思っています。
ここからお教室としての一歩を踏み出して行ったのですが、次回はお教室として稼働していった経緯と現在の活動への繋がりについてお話してみたいと思います♪