花を活かすためには飾るための空間も整える必要があるのでは・・・と思った私は、仕事帰りに週3回、2年制のインテリアコーディネイターの専門学校に通い始めます。
そんな中、インテリアコーディネイターの専門学校の卒業3か月前に結婚が決まり、広島に転居する事になりました。
会社は辞めたのですがインテリアコーディネイターの学校は新幹線で広島から大阪まで通いました。
広島に転居してからインテリアコーディネイターの試験を受け、資格・称号を得ることができ、システムキッチンのプランナーとしてショールームに勤務します。
そしてショールームのすぐ近くにあったフラワー教室にも通い始める事になりました。
そのお教室での先生との出会いが 後の私の考え方を変えることになります。
週末になればブライダルブーケを大量に作成する先生でしたので、先生が認めたスキルのある生徒はそのお手伝いをさせて頂くことができたのです。
ショールームの仕事がない日は私もブーケ作成のお手伝いをさせて頂いていました。
その時にブライダルのお仕事の責任感と同時に素晴らしさも垣間見ることができました。
お花の資格取得に関心がない私に「ずっと花を習ってきたのに資格無しはもったいないよ」、「教える気が無くても資格を取っておけば、習った事の証明になるから損はない」、「子育てが終わったら何もすることがない人が多いけど、私はお花を教えているからたくさんの人が集まってくれるから毎日が楽しいのよ」、先生はよくそんな事をおっしゃっていました。
その頃から漠然と花を教えるということで人と楽しい時間を持てたらいいかも・・・と考えるようになりました。
インテリアコーディネイターの仕事も好きでしたが、子供が生まれたら続けることは出来ないと感じはじめていました。
そこで お花の資格「NFD(日本フラワデザイナー協会)」の3級、2級、1級と取得していくことにしました。
1級取得まで約3年。
その間、今大学1回生の長男の妊娠・出産・子育てがありました。
出産間際には仕事は辞めてしまったのですが、お花のレッスンはずっと続けていました。
親元を離れた地での子育てはかなり大変でしたが、主人の協力のおかげで週末はお花のレッスンを続けることは出来ました。
週末のお花のレッスンは自分だけの時間で気分転換にもなりました。子育て中の私にとっては癒しの時間でした。
1級取得後、広島から栃木県宇都宮市へ転勤。
その地でもNFD(日本フラワデザイナー協会)に所属する先生のもとで学び、NFD講師となります。
宇都宮の先生は、生花のブーケを押し花額にするという事をされていたので、そのスキルも学びました。
当時(2000年頃)は、プリザーブドフラワーよりブーケは生花でつくりそれをメモリアルとして残す“押し花額”の需要が多くあった時代でした。
次の転勤は大阪でした。ちょうど娘が生まれた直後でした。
長男の習い事の送り迎えや娘の子育てと忙しかったのですが、お花のレッスンは引き続き受けていました。お花のレッスンタイムは私のリフレッシュタイムとなり、お部屋に飾ると子供たちも喜んでくれて、幸せをもたらしてくれるものでもありました。
そして、娘が幼稚園に入園した頃、次の転機がおとずれます。